関ヶ原古戦場 見どころ&駐車場マップ
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1600年におきた関ヶ原の戦いゆかりの史跡がある場所をまとめた地図です。毎年10月中旬の土日には関ヶ原合戦祭りが開催される。
マップはページの一番下にあります。
関が原町歴史民俗資料館/合戦で使われた武具や大型ジオラマなどが展示されている。武将グッズやお土産の販売も行っている。
徳川家康最後陣地/東軍。関ケ原の合戦において徳川家康が最後に陣地を置いた場所。この場所から小早川秀秋の陣地にむけて鉄砲を放ったと伝えられている。
田中吉政陣跡/東軍にして家康の家臣。敗走後の三成が捕らえられた場所といわれている。
細川忠興陣跡/正室は明智光秀の娘である細川ガラシャ。西軍の襲撃を受け人質となることを拒否したガラシャが自害したことを受け東軍についたといわれている。
黒田長政・竹中重門陣跡/東軍。山頂から関が原を一望できる。
決戦地/小早川秀秋の寝返りで西軍の敗北が濃厚となり、東軍が一斉におしよせ激戦となった地。
笹尾山 石田三成陣跡/石田三成は関が原を一望できる笹尾山に本陣を置いた。
島津義弘陣跡/豊臣秀吉・秀頼の家臣で、関ケ原の合戦では西軍についた。
開戦地/福島正則が宇喜多隊に向けて一斉射撃。
小西行長陣跡/西軍。豊臣秀吉・秀頼家臣。大谷吉継隊が敗れたのち、小西隊も敗走し伊吹山へ逃れる。
宇喜田秀家陣跡/天満神社の境内に17000の主力部隊を置き、西軍の副総裁として采配を振るった。
平塚為広碑/豊臣家家臣。小牧長久手の戦いや小田原遠征、朝鮮出兵も参加している。関ケ原の戦いでは西軍につき、山内一豊家臣樫井太兵衛に討たれた。
大谷吉継の墓/側近の湯浅五助に自らの首を討たせて埋め隠したというエピソードがある。
大谷吉継陣跡/石田三成の盟友。不治の病を患い白い頭巾で頭を隠していた。小早川秀秋の寝返りで敗北が濃厚となった後もひるまずに応戦したが、最後は自害した。
脇坂安治陣/はじめは西軍に属していたが、小早川秀秋の寝返りをうけて東軍に寝返った。
福島正則陣跡/賤ヶ岳の七本槍、七将の一人。朝鮮出兵をきっかけに石田三成との関係が悪化。関ケ原の戦いでは家康方東軍につく。開戦早々宇喜多秀家の陣を攻撃した。
藤堂高虎・京極高知陣跡/関が原中学校の敷地内にある。正門からはいって右側。
西首塚/家康の命による竹中重門が兵を埋葬したとされる地。
本田忠勝陣跡/徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑
松平忠吉・井伊直政陣跡/松平忠吉は徳川家康の四男で徳川四天王の井伊直政の娘婿。関ケ原の合戦では、福島正則と先陣を競う。
東首塚/合戦が終わったのち、戦死した兵を埋葬した場所といわれている。
松尾山 小早川秀秋陣跡/山麗駐車場から標識を目印に進む。山頂から古戦場が一望できる。当初西軍として参加していたが、家康から鉄砲を撃ち込まれて東軍に寝返った。
桃配山 徳川家康最初陣跡/家康が3万の大軍を配置して指揮をとっていたとされる地。午前11時に陣を動かす。
山内一豊陣跡/旧中山道の松並木道を進むと山内一豊の陣跡がある。
奥平貞治墓/小早川秀秋の軍監。大谷軍と奮戦し致命傷を負う。
島津豊久碑/旧伊勢街道沿いの林の中にある。
駐車場/
2016-06-19更新
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