【麒麟が来る】ゆかりの地マップ
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明智光秀を題材にしたNHK大河ドラマ「麒麟が来る」で放送された”ゆかりの地”をマップで紹介します。
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明智荘(明智城跡)/第1話で紹介。前半生謎の明智光秀出生地として推定される場所の一つ。第17話で、斎藤道三と斎藤義龍が争った長良川の戦いで、明智光秀と叔父の明智光安が道三側についたことで、斎藤義龍に攻められ落城します。明智荘を治めていた土岐明智氏歴代の墓所や、山城を構成していたと思われる曲輪などが残っています。
岐阜城/第2話で紹介。駐車場有。金華山(旧稲葉山城)の山頂に、鎌倉時代から軍事拠点として使われいた岐阜城が建っています。惣構の土塁や七曲道など斎藤道山が整備したとされる城下町の面影が今も残っています。
土岐氏一日市場館跡/第3話で紹介。足利将軍家より美濃国守護を任されていた土岐氏が築いた城跡。家紋は桔梗で、分家筋の土岐明智家も桔梗の家紋を用いていました。
津島湊跡(天王川公園)/この地の経済力に目を付けた織田信貞(信長の祖父)が攻略し、支配下におさめた場所。尾張と伊勢を結ぶ川湊(港)として織田家の繁栄を商業面で支えていました。
津島神社/織田氏の氏神で、織田家の家紋と津島神社の御神紋が同じ。
古渡城跡/織田信秀(信長の父)が築いた城。隣地の下茶屋公園の池は、古渡城の堀を利用して造られたものです。
国友町/第5話で紹介。戦国時代から江戸時代末期まで鉄砲の生産地で栄えた町。国友鉄砲の里資料館に火縄銃や資料が展示されています。古い町並身も見どころ。
花の御所跡石敷きの遺構/第6話で紹介。室町将軍家が居所としていた跡地。応仁の乱などの戦を繰り返し京の町は荒廃。戦国時代へ突入していく。
越水城跡/こしみずじょう。第6話で紹介。畿内・阿波国の戦国大名「三好長慶」が最初に拠点(1539年)を置いた城。阿波(徳島)と畿内(京周辺)を結ぶ要所。
大垣城(大柿城)/第6話・第7話で登場。1548年織田信秀に奪われた大柿城を斎藤道三が奪い返す。清須城の城主・織田信友(本家・主君筋)が、隙をついて信秀が拠点としていた古渡城に攻め込んだため、古渡城へ退却せざるを得なくなった。
熱田湊/かつては海に接していた場所で、伊勢湾水上交通の要だった港町。その後埋め立てが進んで陸地が広がった。津島湊と熱田湊を掌握していた織田信秀の経済力の源。
熱田神宮/かつては海に面して鎮座していた神社で、「熱田さん」の名で親しまれている。三種の神器のひとつ「草薙の剣」が祭られており、天皇とのかかわりが深い。織田信長は、桶狭間出陣の前に熱田神宮に必勝祈願をして勝利。その時奉納したとされる信長塀が残っています。
那古野城跡/現在の名古屋城が建つ以前の戦国時代、この場所には今川氏が築いた那古野城がありました。織田信秀は、今川氏からこの城を奪い嫡男の信長を城主に据えました。
那古野神社(天王社)/第8話で紹介。織田家の祖先が天王社の神主で、神社の御神紋(木瓜紋)が織田家の家紋と同じ。
妻木城跡/第9話で紹介。土岐氏が築いた山城。堀切やくさび跡が残る巨岩などが残っています。土岐氏衰退後は明智氏の一族であった妻木氏が城主となります。陶器の生産を広めて、現在の美濃焼の基礎を作りました。
安城城/第10話で登場。1549年今川軍が安城城に攻め寄せ、城を守っていた織田信広(信長の腹違いの兄)が捕まる。松平竹千代との人質交換を要求される。
岡崎城/松平竹千代(のちの徳川家康)生誕の城。岡崎公園内の産湯の井戸近くにある坂谷邸で生まれました。松平家の菩提寺にあたる法蔵寺に竹千代にまつわる品が保存されています。
刈谷城跡/第11話で登場。刈谷城で城主の水野氏が今川軍の侵攻を食い止めている間に、明智十兵衛が足利義輝将軍に和議の仲裁を依頼しに行く。
興聖寺/第11話で紹介。足利義輝将軍が京の都の戦乱から逃れるために身を寄せていた朽木の館があったとされる場所に建立されたお寺。
末森城跡(城山八幡宮)/第12話で紹介。三河松平氏や今川氏からの侵攻の備えとして織田信秀が1548年に築城。居城を古渡城から末森城へ移し1552年に末森城で死去する。当時の空堀が今も残っています。
万松寺/織田信秀が創建した織田家の菩提寺。信秀死去の際は、信長が喪主となって葬儀が行われました。
鷺山城跡/第13話で紹介。斎藤道山の後ろ盾を使い美濃守護の座にのし上がった土岐頼芸が一時拠点としていた城。山頂に城址碑があり、土塁や塀が残っています。
法雲寺/第13話で紹介。鷹の絵を多く残した美濃守護・土岐頼芸の菩提寺で、土岐頼芸(享年81歳/1582年)の墓がある寺。
緒川城址/第14話で登場。知多半島にある城。水野貞守が築城主。1606年に緒川城が廃城となった際に移築されたと伝わる総門が乾坤院に残っています。
村木砦跡/第14話で登場。1553(天文22)年今川軍が織田方の緒川城を攻略するために、村木砦を築く。天文23年村木砦の戦いで信長がはじめて鉄砲を使う。このとき留守となる那古野城を守るために斎藤道三に援軍を依頼し、道山はこれを引き受け援軍を派遣する。
聖徳寺跡/斎藤道三と織田信長が初対面した場所。この時代の木曽川は水深が浅く、道三は馬で渡ったともいわれています。道三は、この会見で信長を高く評価し、内紛で敵だらけの信長に援軍を送り那古野城を守りました。
守山城跡/第15話で守山城城主・織田信光(信秀の弟)が登場。
清須城/ドラマの中では第15話をはじめしばしば登場する。現在の表記は清洲城(当時の表記は清須城)。1405年斯波義重によって築城されて以来、尾張の政治の中心地となっていた場所。1554年尾張守護・斯波義統(しばよしのり)が、清須城にて尾張守護代・織田彦五郎の家老・坂井大膳によって暗殺され、翌年、城内に招いた守山城主の織田信光によって彦五郎が暗殺される。その後信長が、斯波義種を擁して清須城に入場。那古野城から清須城へ拠点を移す。
臨在寺/第15話で紹介。静岡市葵区大岩町にある今川氏の菩提寺で、かつて駿府と呼ばれていた地。今川家の重心・大原雪斎ゆかりの品が保管されています。雪斎は、内政・外交・軍事で今川家を支え、幼少期の今川義元や竹千代(徳川家康)の教育係も務めていたといわれています。
大桑城/第16話で紹介。土岐氏が築いた美濃の守護所。息子の斎藤義龍が謀反をおこした際に、斎藤道山が逃れた場所。山頂付近には、ミニ大桑城が設置され、当時のものと思われる曲輪や堀、石垣などが残っています。麓には四国堀や、斎藤道三との戦いで戦死した人を弔う六万墓があります。
道三塚/第17話で紹介。長良川の戦いで、斎藤道三が嫡男の義龍(高政)に討たれ埋葬されたとに築かれた墓。
常在寺/第17話で紹介。斎藤道三(斎藤利政)が出家して戒名した寺。斎藤道三像と斎藤義龍像が貯蔵されています。
一乗谷朝倉氏遺跡(朝倉館跡)/第18話で紹介。越前を治めていた朝倉氏の拠点。斎藤義龍によって明智城が陥落したあと、光秀はこの地に逃れてきたといわれています。遺跡には、政治が行われていた17棟の建物跡が残っています。道路の向かいには、かつての城下町が復元された町並みもあります。
称念寺(しょうねんじ)/第18話で紹介。美濃から越前に逃れてきた明智光秀は、称念寺の門前に居所を置いていたといわれています。
大高城跡/緑区大高町。今川義元の家臣・松平元康(徳川家康)が尾張侵攻の先陣として織田軍をかいくぐって大高城まで兵糧入れを行った場所。当時からあったとされる城山八幡社が今もまつられている。
鷲津砦跡/今川義元からの尾張侵攻の備えとして信長が築いた砦。今川軍の城と城の間に建て、今川軍の補給路を断つことが目的。
丸根砦跡/今川軍の侵攻をおさえるため、鷲津砦と同じ時期に築かれた砦。桶狭間の戦いの前哨戦が行われた場所。
善照寺砦/桶狭間の戦いの直前に織田信長が兵を終結させた場所、
桶狭間古戦場伝説地/第21話で紹介。諸説ある今川義元本陣の場所の一つで、国指定史跡となっている場所。今川義元はじめとする今川軍の武将7人の戦死場所を示しているという七石表があります。毎年6月初旬ごろ桶狭間古戦場まつりが開催されます。
沓掛城址公園/第21話で紹介。くつかけじょう。今川義元が桶狭間の戦いの前夜に拠点を構えていた場所。本丸跡や二の丸跡、曲輪、空堀などが残っています。
桶狭間古戦場公園/今川義元が毛利新八によって討ち取られた最期の場所といわれている地のひとつ。合戦当時の地形がジオラマで再現されています。
興福寺/第22話と第33話で紹介。武士ではなく寺社勢力が支配していた奈良県にある興福寺(中金堂)。興福寺が守護大名に変わり実質的な守護となっていました。のちの足利義昭をはじめ家督を相続しない男子の多くが、興福寺で出家したといいます。東金堂や五重塔、多聞山城跡もあわせて紹介されました。
小牧山城/美濃攻め(斎藤竜興攻略)の拠点として織田信長が小牧山に築いた城。山のふもとには、信長の居館があったと推定されています。近世城郭の原点ともいわれている大きな石垣が山頂付近に残っています。城下町を流れる巾下川は、清須から小牧山城へ物資を運ぶための水門であったと考えられています。
公方屋敷跡/第24話で紹介。忍びの里「甲賀」にある覚慶(足利義昭将軍)が一時滞在していた場所。覚慶の逃亡を助けた和田惟政の本拠地で、和田城跡や公方屋敷支城跡なども残っています。
矢島御所跡/第24話で紹介。覚慶が還俗し、足利義秋(のちの義昭)を名乗った場所。西隣には、一休和尚ゆかりの地である少林寺があります。
安養寺跡/第26話で紹介。福井県にある寺院跡。朝倉氏を頼った足利義昭を迎え入れた寺で、御所が設けられた地。近くにある南陽寺で花見が催されたと伝えられています。
開口神社/第27話で紹介。大阪府堺市にある開口神社(あぐちじんじゃ)。愛称:大寺さん。信長に重用された今井宗久をはじめとする会合衆(有力商人)が、自治や経済の話し合いをしていた場所
旧二条城復元石垣/京都御苑内。信長によって建てられた足利義昭の御所「旧二条城跡」は、今の二条城よりも東(平安女学院大学 京都キャンパス北東角)にあります。旧二条城跡からは200以上もの石仏が発掘されました。
近衛邸跡(京都御苑内)/第29話で紹介。天皇家が生活していた御所を中心に公家の屋敷が建ち並んでいた地「京都御苑(きょうとぎょえん)」。その中に、ドラマでもたびたび登場したに関白「近衛前久(このえさきひさ)」の邸宅跡があります。
興禅寺/第29話で紹介。兵庫県丹波市にある黒井城の下館跡。関白「近衛前久」が設計したとされる庭が残されています。
妙覺寺(みょうかくじ)/美濃の斎藤家とゆかりがあり信長の嫡男である織田信忠が、本能寺の変の際に宿舎としていた寺、米沢市上杉博物館に貯蔵されている国宝「洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)」に当時の御所や二条城、妙覚寺。清水寺、金閣などの景観が描かれています。足利義輝が加納永徳(絵師)にかかせたものと言われています。
国吉城跡/福井県美浜町左柿にあった山城。1570年信長が越前朝倉攻めに際して一時入城していた地。曲輪、石垣、土塁、堀切などの遺構が残っています。
天筒山城跡/金ヶ崎城の支城。1570年信長が越前に侵攻した際に攻め落としました。金ヶ崎城跡や敦賀湾を見渡せる展望台があります。
金ヶ崎城跡/1570年信長の越前侵攻の際に、天筒山城攻略の翌日に攻め落としました。しかしこの後浅井長政の裏切りによって撤退を余儀なくされます(金ヶ崎の戦い)。近くの展海広場展望所から駿河湾を見渡せます
小谷城跡/浅井氏が本拠地としていた日本の山城。1573年織田信長との攻防で落城し浅井氏が滅亡。羽柴秀吉に与えます。1575年に港がある今北に長浜城を築城し廃城となりました。
姉川古戦場跡/1570年織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した戦い。激戦の末、織田・徳川連合軍が勝利しますが、姉川の水は、多くの死傷者の血で赤く染まったといわれています。
比叡山延暦寺/788年最澄によって開かれた天台宗の総本山。1994年にユネスコ世界文化遺産にも登録されています。信長軍と浅井・朝倉連合軍が対立した際に、延暦寺が浅井・朝倉軍に味方したとして、1571年焼き討ちされました。しかし1200年前に最澄がともしたとされる法灯が、一度も消えることなくい今も光り輝いているという言い伝えもあります。
菅田比賣神社(すがたひか)/第34話で紹介。大和国(奈良県)の戦国大名・筒井順昭の子「筒井順慶」が居城としていた筒井城の中枢部に位置していた神社。筒井順慶は、松永久秀と大和国をめぐってたびたび対立を繰り返していました。境内に祀られている八幡神社は、当時から位置を変えずに鎮座しているといわれています。
常泉寺/木下藤吉郎(豊臣秀吉)の生誕地。豊太閤産湯の井戸が残っています。また秀吉の肖像画や秀吉の木像、秀吉が所持していた采配・茶釜・硯などが所蔵されています。
坂本城跡/第36話で紹介。明智光秀が築いた城。比叡山延暦寺の監視と京への交通路の確保を目的として築城。城内に琵琶湖の水を引き入れる構造となっており、船で直接乗り入れすることもできたといいます。渇水時に城の石垣とその下に敷かれていた胴木が見つかっています。近くに本丸跡があります。
槇島城跡/第37話で紹介。まきしまじょう。信長に反旗を翻した足利義昭が籠城した城。かつて存在した巨椋池(おぐらいけ)の島にありました。
枇杷庄天満宮社/第37話で紹介。びわのしょうてんまんぐうしゃ。信長に敗れて敗走する足利義昭がたどり着いた地。
高桐院/第38話で紹介。代々足利将軍家に仕えてきた三淵家の嫡男「三淵藤英」の弟・細川藤孝の菩提寺。ここに藤英の位牌があるとの言い伝えもあります。
西教寺(さいきょうじ)/第39話で紹介。明智光秀一族の菩提寺。比叡山焼き討ちの際に焼失した西教寺を光秀が再興。境内には、光秀の供養塔や光秀一族の墓があります。妻の照子もここに埋葬されています。寺の総門は、坂本城から移築したものと言われています。
信貴山城跡(しぎさん)/第40話で紹介。大和を支配下におさめた松永久秀の軍事拠点。久秀の屋敷跡や曲輪跡などが残っています。近くに毘沙門天が祀られている朝護孫子寺(聖徳太子が建立)がありますが、久秀と信長との戦いの際に焼失しました。
達磨寺(だるまじ)/第40話で紹介。信長に対して謀反を起こした松永久秀は、信貴山城の戦いに敗れて自害。宿敵であった筒井順慶の手により達磨寺に葬られたといわれています。天下の逸品「平蜘蛛の茶釜」とともに爆死したという逸話はドラマの中では描かれませんでした。達磨寺に松永久秀の墓があります。
安土城跡/織田信長が1576年に安土山に築いた日本の山城。地上6階、地下1階の絢爛豪華な天守であったといわれています。信長が城内に建立した摠見寺(そうけんじ)や仁王門、三重塔は今も残っており、国の重要文化財に指定されています。
有岡城跡/第42話で紹介。伊丹城ともいいます。明智光秀の長女が嫁いだ荒木村次の父・荒木村重が1578年に信長に反旗を翻して有岡城に籠城。兵糧攻めの末に落城し、荒木家にゆかりのある人々はすべて処刑されたというエピソードがあります。当時の石垣や外堀跡を利用して作られた水路、土塁などが今も残っています。
八上城跡/第43話で紹介。戦国大名の波多野秀治が治めていた丹波の山城。一時信長に従うも、義昭と信長が対立したときに反旗を翻して対立。明智光秀は般若寺城を築き兵糧攻めによって八上城を攻略します。秀治は裏切りの代償として市中引き回しの末、はりつけに処されました。
福知山城跡/第43話で紹介。明智光秀が丹波平定の拠点として天正7年(1579年)に築いた城。天守閣の石垣は当時のものが残っているといいます。江戸時代から続いている福知山踊りの歌の中にも光秀が登場します。
本能寺跡/戦国最大のクーデターといわれる本能寺の変(天正10年6月2日(1582年)早朝)がおきた場所。信長の寝込みを明智光秀が襲撃。信長は自ら寺に火を放って自害したと伝えられています。住宅街の角に石碑のみが建っています。
本能寺/1592年秀吉の命をうけて、焼失した場所からこの場所に移転。境内には信長の供養塔もあります。
勝龍寺城跡/第44話で紹介。山崎の戦で敗れた明智光秀が最後の夜を過ごした場所。また細川忠興と玉(ガラシャ)が祝言をあげた場所でもあります。羽柴秀吉の追撃を受け城を放棄し坂本城へ向かう途中で落ち武者狩りにあい死亡したとの説が有力ですが、ドラマの最後では光秀生存の可能性をにおわせるエピソード(天海=光秀説)もありました。
御霊神社(ごりょうじんじゃ)/第44話で紹介。京都府福知山市にある御霊神社には、明智光秀の霊が祭られています。桔梗紋の飾りが多く使われています。
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