織田信長ゆかりの地マップ
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岐阜城天守閣/1201年ごろ鎌倉幕府の軍事用として二階堂行政が築城。1532年ごろ斎藤道三、1567年美濃を平定した織田信長が城主となります。休館日 年中無休 大人200円 ゴールデンウィークや夏休みには開館時間が延長されて、岐阜城パノラマ夜景を見ることができます。
長浜城/4月上旬から4月中旬にかけて桜が見頃。豊公園の中にある近江の城。豊臣秀吉が最初に築いたとされる城。浅井長政、織田信長、豊臣秀吉、お市ゆかりの城。見どころは、約600本のソメイヨシノで、天守閣を囲むように咲き乱れます
長篠城/1508年築城。武田信玄の跡を継いだ武田勝頼と、織田信長・徳川家康連合軍が戦った「長篠の戦い(1575年)」に先立ち攻防戦となった城。
岩崎城/信長の父「織田信秀」が築城したとされる城。築城時期は不明。中世城郭の特徴を表す土塁や空堀が残っています。
天下第一の門/信長の大志をたたえて建てられた冠木門
津島湊跡(天王川公園)/この地の経済力に目を付けた織田信貞(信長の祖父)が攻略し、支配下におさめた場所。尾張と伊勢を結ぶ川湊(港)として織田家の繁栄を商業面で支えていました。
古渡城跡/織田信秀(信長の父)が築いた城。隣地の下茶屋公園の池は、古渡城の堀を利用して造られたものです。
熱田神宮/かつては海に面して鎮座していた神社で、「熱田さん」の名で親しまれている。三種の神器のひとつ「草薙の剣」が祭られており、天皇とのかかわりが深い。織田信長は、桶狭間出陣の前に熱田神宮に必勝祈願をして勝利。その時奉納したとされる信長塀が残っています。
那古野城跡/現在の名古屋城が建つ以前の戦国時代、この場所には今川氏が築いた那古野城がありました。織田信秀は、今川氏からこの城を奪い嫡男の信長を城主に据えました。
安城城/第10話で登場。1549年今川軍が安城城に攻め寄せ、城を守っていた織田信広(信長の腹違いの兄)が捕まる。松平竹千代との人質交換を要求される。
万松寺/織田信秀が創建した織田家の菩提寺。信秀死去の際は、信長が喪主となって葬儀が行われました。
村木砦跡/第14話で登場。1553(天文22)年今川軍が織田方の緒川城を攻略するために、村木砦を築く。天文23年村木砦の戦いで信長がはじめて鉄砲を使う。このとき留守となる那古野城を守るために斎藤道三に援軍を依頼し、道山はこれを引き受け援軍を派遣する。
聖徳寺跡/斎藤道三と織田信長が初対面した場所。この時代の木曽川は水深が浅く、道三は馬で渡ったともいわれています。道三は、この会見で信長を高く評価し、内紛で敵だらけの信長に援軍を送り那古野城を守りました。
清須城/ドラマの中では第15話をはじめしばしば登場する。現在の表記は清洲城(当時の表記は清須城)。1405年斯波義重によって築城されて以来、尾張の政治の中心地となっていた場所。1554年尾張守護・斯波義統(しばよしのり)が、清須城にて尾張守護代・織田彦五郎の家老・坂井大膳によって暗殺され、翌年、城内に招いた守山城主の織田信光によって彦五郎が暗殺される。その後信長が、斯波義種を擁して清須城に入場。那古野城から清須城へ拠点を移す。
鷲津砦跡/今川義元からの尾張侵攻の備えとして信長が築いた砦。今川軍の城と城の間に建て、今川軍の補給路を断つことが目的。
善照寺砦/桶狭間の戦いの直前に織田信長が兵を終結させた場所、
桶狭間古戦場公園/今川義元が毛利新八によって討ち取られた最期の場所といわれている地のひとつ。合戦当時の地形がジオラマで再現されています。
小牧山城/美濃攻め(斎藤竜興攻略)の拠点として織田信長が小牧山に築いた城。山のふもとには、信長の居館があったと推定されています。近世城郭の原点ともいわれている大きな石垣が山頂付近に残っています。城下町を流れる巾下川は、清須から小牧山城へ物資を運ぶための水門であったと考えられています。
織田信長公居館跡/岐阜城山麓部にある織田信長公居館跡。金箔瓦を葺いた豪華な建物で、特別な客人を迎えるための迎賓館でもあったといわれています。
旧二条城復元石垣/京都御苑内。信長によって建てられた足利義昭の御所「旧二条城跡」は、今の二条城よりも東(平安女学院大学 京都キャンパス北東角)にあります。旧二条城跡からは200以上もの石仏が発掘されました。
妙覺寺(みょうかくじ)/美濃の斎藤家とゆかりがあり信長の嫡男である織田信忠が、本能寺の変の際に宿舎としていた寺、米沢市上杉博物館に貯蔵されている国宝「洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)」に当時の御所や二条城、妙覚寺。清水寺、金閣などの景観が描かれています。足利義輝が加納永徳(絵師)にかかせたものと言われています。
国吉城跡/福井県美浜町左柿にあった山城。1570年信長が越前朝倉攻めに際して一時入城していた地。曲輪、石垣、土塁、堀切などの遺構が残っています。
天筒山城跡/金ヶ崎城の支城。1570年信長が越前に侵攻した際に攻め落としました。金ヶ崎城跡や敦賀湾を見渡せる展望台があります。
金ヶ崎城跡/1570年信長の越前侵攻の際に、天筒山城攻略の翌日に攻め落としました。しかしこの後浅井長政の裏切りによって撤退を余儀なくされます(金ヶ崎の戦い)。近くの展海広場展望所から駿河湾を見渡せます
小谷城跡/浅井氏が本拠地としていた日本の山城。1573年織田信長との攻防で落城し浅井氏が滅亡。羽柴秀吉に与えます。1575年に港がある今北に長浜城を築城し廃城となりました。
信長塀/1560年桶狭間の戦いの直前に、織田信長が熱田神宮で戦勝祈願を行い出陣。今川義元に勝利したため、お礼として信長塀を寄進したといわれてます。
那古野城跡/今川氏親が1521年から1528年ごろ築いた(旧)那古野城。1538年に織田信秀が城を奪い、信長に譲りましたが、1555年に居城していた信長が清州に移った後、廃城となりました。
比叡山延暦寺/788年最澄によって開かれた天台宗の総本山。1994年にユネスコ世界文化遺産にも登録されています。信長軍と浅井・朝倉連合軍が対立した際に、延暦寺が浅井・朝倉軍に味方したとして、1571年焼き討ちされました。しかし1200年前に最澄がともしたとされる法灯が、一度も消えることなくい今も光り輝いているという言い伝えもあります。
安土城跡/織田信長が1576年に安土山に築いた日本の山城。地上6階、地下1階の絢爛豪華な天守であったといわれています。信長が城内に建立した摠見寺(そうけんじ)や仁王門、三重塔は今も残っており、国の重要文化財に指定されています。
本能寺跡/戦国最大のクーデターといわれる本能寺の変(天正10年6月2日(1582年)早朝)がおきた場所。信長の寝込みを明智光秀が襲撃。信長は自ら寺に火を放って自害したと伝えられています。住宅街の角に石碑のみが建っています。
本能寺/1592年秀吉の命をうけて、焼失した場所からこの場所に移転。境内には信長の供養塔もあります。
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